mig76frの投稿 (1月 19, 2011)
さて、今日は連帯という概念について、連帯経済の分野で有名な学者であるチリのルイス・ラセト(Luis Razeto)氏が発表した論文について、ちょっと紹介したいと思います。
http://www.luisrazeto.net/content/el-concepto-solidaridad (スペイン語)
連帯経済を日本国内で紹介する上で、何よりもの障害となるのが、そもそも日本で「連帯」という概念が存在しないことです。この連帯という概念について、ラセト氏は以下のように説明しています。
連帯という単語はスペイン語ではsolidaridad(他のラテン系言語も似たような形)と言いますが、スペイン語圏で最も権威のあるスペイン王立アカデミーの辞書によりますと、この単語はラテン語(2000年前のローマ帝国時代のことば)の”solidus”という単語を期限としており、以下の3つの意味があるということです。
また、日本語の「連帯保証人」に当たる用法にも言及しており、「ある人の主義主張あるいは取り組みに対して、他の人が自分のものとして参加する」という意味も紹介しています。
また、ラセト氏はイタリア語にも堪能ですが、イタリア語の”solidarietà”という単語の場合には、以下の意味があります。
4の意味は、「お前にカネがないのはわかってるから、オレがお前の借金を代わりに返してやろう。ほい、これで借金帳消しだろう?オレに借りがあるって?何言ってんだよ、お前の借金はオレの借金でもあるんだから、気にすんな。お前、オレの仲間なんだから」みたいな感覚のものと考えてもらえばいいでしょう。
このような定義から、連帯の本来の、そして学術的な意味は、「団体、結社あるいはコミュニティを構成する個人の間のヨコのつながり」で、その参加者間
には「平等」な人間関係があるということです。また、このような人間関係を傷歌目には、「個人間の強い結びつき」が必要となります。そして、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」が何よりも大切になるのです。
とはいえ、連帯という表現が今日では、特にマスコミによって乱用されているのも確かです。特にただの補助金給付やチャリティ(寄付)活動などでも「連帯」という表現が使われていますが、これにより連帯の5つの基本が歪曲されているとラセト氏は語ります。
こう考えると、最近日本で流行っているタイガーマスク運動は連帯ではないことがよくわかります(aの成立条件である集団が存在せず、bのような個人の集団がそもそも存在せず、cのような人間関係の構築もなく、dのように、eのような持続性もない)。また、欧米でも単語の意味が発言者の意向でどんどん変わってしまう傾向にあることを認めた上で、ラセト氏はその歴史的経過について説明しています。
連帯という表現が欧州で使われるようになったのは、中世の欧州で職業組合ができ、同業者の間で仲間意識ができてからであり、後にこの表現が労働運動でも使われるようになり、そして20世紀前半には「共通理念」や「共有された利害」および「相互支援」ということで、分野を超えた幅広い労働者の間で使われていました。その一方で、キリスト教側のほうでも人間は神様の前ではあくまでも平等という立場から、階級を超えた兄弟愛という意味合いで使われ始めました。そして、社会正義の文脈から使われ始め、ヨハネ・パウロ2世前教皇によって「連帯原則」が表明されたのです。
さらに社会学の立場からフランスのエミール・ドュルケムは、近代になり個人の人権が確立するようになり個人主義が進む一方で、各個人が自分の目的を達成するためには逆に他人と連携しなければならないという矛盾を解明しようとしました。そして、目的を共有する人たちによる結社としての社会があるというわけです。
その一方で、個人主義的な人間による経済活動を前提とした経済学の立場からは連帯に対する関心は最近まで見られませんでしたが、”C要因” (Factor C)とラセト氏自体が名づけたもの、具体的にはcooperación(協同作業)、colaboración(協力)、comunicación(意思疎通)、comunidad(コミュニティ)、compartir(共有)など、Cで始まるさまざまなスペイン語の単語の意味合いをまとめたものこそが、連帯経済の構築につながっていることは明らかです。
このような背景から、地域社会における失業や疎外などの問題の存在、別の社会運動を通じての人間の絆、自助努力を促す外部からの支援、そして思想などにより、連帯経済が推進されてゆくとラセト氏は結論づけています。
というような内容ですが、みなさんはいかがお考えでしょうか?